不妊治療のやめどき

1年間、仕事を辞めて不妊治療に専念してみた(43歳だった7年前を振り返りつつの日記)

メンタルが粉砕された、あの一言を忘れない(1)

不妊治療をやっていて辛いことは、
体が辛いってことと、心も辛いってことと、
その辛さが不妊治療をやっていない人には分からないってことと、
不妊治療をやっていてもその辛さが人それぞれってこと。

ホルモン剤の副作用がとってもつらい人もいれば、平気な人もいるし。
周りに理解者がいるかいないかで、心の辛さも変わってくる。

要するに、辛さを分かり合えない辛さがあるような気がします。

そして。
でも。

本当の辛さは、分かり合えないことを理由に、分かり合おうとしない。
どうせ分からないよね、と相手を見限って、分かってもらおうとしない。

そんな精神状態になってしまうこと。

そして、そんな精神状態になってしまっている自分を自分で分かっていて、そんな自分を、普通に妊娠もできないくせに自分だけが辛いって悲劇に酔っているみたいな自分を、受け入れられなくなることではないかと、今になって考えます。

あと1mmだけでも口角を上げて過ごせていたら、もう少し楽に不妊治療と向き合えたのかもしれないと、これまた今になって思います。

だけど、そうは言っても、やっぱり、何気なく言い放たれた言葉に、深く深く傷ついて、口角が下がりまくってしまうこともあるのです。

もう7年も前のことなのに、未だにその一言のせいで自己肯定がきちんとできない自分がいます。

そんな時は外出することができなくなり、日常生活に支障が出てしまいます、今もなお、です。

私にとってのその一言は、当時、一緒に会社を設立した友人(♂)がいて、設立パーティでのあいさつでその人が言った言葉です。

不妊治療に専念する前でしたが、その時点ですでに4年ほど不妊治療を続けていて、そのことを友人も知っていました。

 

友人「私は子どもを4人育て、社会的責任を果たしましたので、次は会社を設立して社会に恩返しします」

あいさつのため演台で一緒に立っていた私は、思わずマイクを持ち上げ、こう言いました。

「子供を育てることが社会的責任っていうなら、私は社会的責任を果たしてないってことなんだね」

すると、さらに友人が追い打ちをかけてきました。

友人「しょうがないじゃなん、できないんだから。別の形で責任を果たせばいいでしょ」

 

その後、私はその人とはたもとを分かち、新会社から手を引きました。

そして、それからメンタルが異常になって、過食嘔吐を繰り返すようになり、それまでやっていたフリーランスの仕事もできなくなり、年齢のこともあったので、仕事はやめて不妊治療に専念することを決意しました。

結果として不妊治療はうまくいかず、子どもは授からないまま不妊治療をやめ、現在に至ります。

その友人の理論によれば、子どもがいない私はいまだに社会的責任を果たせていないということです。

そんなことは無い、と考えはしても、どうしても子供が埋めない、その1点をもって自己肯定感を持つことができません。

そして、自己否定が強まると外に出られず、人に会えず、過食嘔吐を繰り返します。今もなお、です。

このブログは「不妊治療のやめどき」というタイトルですが、私にとって不妊治療という行為は終わりましたが、不妊という事実はいまだに終わることなく身のまわりを漂っています。